視聴はこちらから
Japanese with English subtitles
Written, edited and narrated by Keiichi Ogata
This personal and poetic documentary addresses to interpret the Italian filmmaker as architect. Michelangelo Antonioni is one who tried to represent the essence behind the visible objects in cities, through the illusion of film like architects do. This project was originally conceived as a history thesis for the Architectural Association, School of Architecture in 1996.
発端・アイデンティティそしてアルベルティ
(1)
本論では、建築家アントニオーニの視線を通して都市、場所、移動、言葉、時間、アイデンティティについて考察することで、アントニオーニのデザインする建築・都市空間の仮想を試みるが、一作家の残した様々な仕事を拾い集め再構成することで作家の実像をあぶり出す方式を取ることで全体像を出現させることを目指して行くつもりだ。
- *1
- ジュリアーナ・ブルーノ(Giuliana Bruno)
ハーヴァード大学教授。専門は、視覚芸術、映画、建築、マルチメディア。著者に『Surface: Matters of Aesthetics, Materiality, and Media』(2014)、『Public Intimacy: Architecture and the Visual Arts 』(2007)などがある。 - *2
- Giuliana Bruno『Public Intimacy Architectue and Visual Arts』The MIT Press (March 16, 2007) P.200
- *3
- “ANTONIONI“
フランスの映画評論家ドミニク・パイニ(Dominique Paini)のキュレーションによる回顧展。開催期間は、2015年4月9日〜7月20日。会場は、フランス・シネマテーク(パリ)。 - *4
- 粉川哲夫著『シネマポリティカ 粉川哲夫映画批評集成』
作品社(1993/12)P.455(2)
フランスの映画評論家のアンリ・アジェルはアントニオーニの初期の作品『愛と殺意』(1950年)について、「主題の内面的であると同時に社会的なリアリズムが、カットからカットへの動きによってではなく、シークエンスの内面の動きによって強調される」手法が採られており、映画の新たな構造を提示していた*1と指摘している。これは、カットの切り返し、いわゆるモンタージュよりもむしろシークエンスのなかの時の流れを重視する彼独特の手法がすでに初期段階で確立されていたことを示している。フランスの映画監督エリック・ロメール *2は、作品アプローチは違えど、アントニオーニの作品に対し、「人は映画(作家の作品)の独自性ということを論じる。しかし、そこで問題とされているのは、手段の独自性であって、目的の独自性ではない。例えば、『情事』(1960年)や『夜』(1961年)がきわめて偉大な映画作品であることは明らかであり、そこで手段のみを取り上げて、それらを文学的な作品と非難することはひどく馬鹿げている。」*3と単なる流し撮りではないアントニオーニ固有のアプローチへの賛辞を述べている。
彼の功績を讃えるだけでなく、彼の未来への見識眼の鋭さを示す例として、映画監督のヴィム・ヴェンダース *4は、短編ドキュメンタリー映画『666号室』(1982年)のためにアントニオーニにインタビューした時の彼の映画の未来に対するコメントに心を打たれたという。「映画が死の危険に瀕しているのは本当だ。(中略)高品位ビデオカセットの登場により、やがて自宅に映画館を持てるようになるだろう。映画館はお役御免になる。いまある施設はすべていらなくなる。(中略)ただ、思うのは新しい技術によりよく適応できるような新しい人間に変わってゆくことは、私たちにとって、それほど難しいことではないだろう。」いまから30年以上も前に、すでに今日の映像を体験する状況が変わること、それに自分は適応することが重要であると述べている。彼はまた建築のたとえを使う。「建物だって、将来どんなものになるか、だれが知ろう。この窓から見えている建物が、明日はもう存在しないということもありうるのだ。」 *5と。- *1
- アンリ・アジェル『映画の美学』(文庫クセジュ)
岡田 真吉 (翻訳)白水社 (1958/2-1987/1) P.122
Henri Agel , Esthétique du cinema [Presses Universitaires de France] (1966) - *2
- エリック・ロメール(Éric Rohmer, 1920-2010)
フランスのヌーヴェル・ヴァーグ時代から個性的な作品を発表し続けた映画監督。代表作は、『満月の夜』(1984年)、『夏物語』(1996年)など「四季の物語」シリーズ。 - *3
- エリック・ロメール著『美の味わい』
梅本洋一、武田潔(翻訳)勁草書房 (1988/01) P.94 - *4
- ヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders, 1945-)
ドイツの映画監督。代表作は、『パリ、テキサス』 Paris, Texas (1984年)『ベルリン・天使の詩』 Der Himmel über Berlin (1987年)。建築家ユニットSANANAのローザンヌ連邦工科大学ラーニングセンターのドキュメンタリー映画『もし建築が話せたら… 』If Buildings Could Talk (2010年)がきっかけとなり生まれた作品、『もしも建物が話せたら』 Cathedrals of Culture (2014年)では建築論存在論について切り込む。 - *5
- ヴィム・ヴェンダース著『愛のめぐりあい 撮影日誌』
- 池田信雄、武村知子(翻訳)キネマ旬報社(1996/9)P.26-29
(3)
- 彼の残してきた作品群から感じられるのは、アントニオーニ自身による解釈が加えられたイメージ=テキストの抽象性がその奥底に潜む矛盾とともに配置され反復され、繰り返され、そして位置付けられ、こまやかなずれが現れてくるというものであり、そういう仕組みが物語の潮流の自然(具象)をうみだすということだ。そして、言うまでもなく彼が独自の文体をもっているということは、映像作家としての彼にとってひとつの栄誉であるといえる。独自で個性的な文体、つまりは独自で個性的な彼の世界の把握、あるいは独自で個性的な作品世界について評論家たちは長い間、解釈を試みてきた。アントニオーニの残してきた作品群に関してスーザン・ソンタグ *1は以下のように類型化する。
少なくとも有効といえる区別は「分析的」な映像作品と「叙述的」かつ「説明的」な映画という分類であろう。第一の型の例はカルネ*2、ベルイマン*3(とくに『鏡の中にある如く』と『「冬の光』、それに『沈黙」』)、フェリーニ *4、それにヴィスコンティ*5である。第2の型の例は、アントニオーニ、ゴダール*6、そしてブレッソン*7と言えよう。第一の型は心理映画、つまり登場人物の動機を解明することにもっぱら関心を寄せている映画、と言うことができよう。第2の型は反心理的な映画で、感情と物間の相互作用を扱うものである。そこでは人物は不透明で「状況」にさらされている。
スーザン・ソンタグ『反解釈』*8
ソンタグの指摘するように、アントニオーニの求めたどのような対象と問題について描かれたイメージ=テキストにも、どんな長い物語の一部分からも、明確な動機、意味づけは現れることはない。登場人物にしても都市の中を揺らめくように生きる女たち、そしてクリエイティブな職業に携わり、一見すると憑かれたように対象を追い求める男たちにしても(『夜』(1961年)の作家、『情事』(1960年)の建築家、『さすらいの二人』(1975年)のドキュメンタリー作家、『欲望』の写真家、『ある女の存在証明』(1982年)、『愛のめぐりあい』(1995年)の映画監督)彼らを憑き動かす何かは明瞭な形あるものに憑かれるわけでもなく、またある種の目的(それは、場所も含む)に向けられているわけでもない。
ここで、わたしたちがただ一つ感じることのできるのは、現代社会におけるモラルと、その境界の片隅で、みずからのアイデンティティーを意識的にせよ、無意識的にせよ求めようとする登場人物の姿である。アントニオーニは『情事』を撮影した際、以下のように述べている。今日、この世界には、きわめて重大な断絶が存在している。一方には科学があり、それは、未来に向かって身を挺し、その未来の一角ですら、征服できることになるものなら、昨日の自己を日々に否定するのに吝かではない。そして、他方には硬直し、固定したモラルがあり、人間はそれを十分意識しているのだが、それなのにモラルは存立し続けるのである。
雑誌『シネマ60 1960年10月号』*9 ミケランジェロ・アントニオーニ
ここで対峙するのは、科学とモラルである。絶対の本質である科学に対し、モラルとはいったい何か。実体のないモラルに対し、アントニオーニの登場人物たちは、探求を試みる。結局、モラルの向こう側にある何かを追い続けることが、次第に自分とは何か、自分の存在の意味の探求にすり変わって行く。
*1
スーザン・ソンタグ(Suzan Sontag,1933-2004 )
アメリカの思想家、評論家、エッセイスト、リベラル派の知識人。代表作に『写真論』(1979)、『イン・アメリカ』(2016)
*2
マルセル・カルネ(Marcel Carné, 1906-1996)
主に戦後からヌーヴェルヴァーグまで活躍したフランスの映画監督。『天井桟敷の人々』(1945)は、1980年の日本の映画雑誌「キネマ旬報」による「外国映画史上ベストテン(キネマ旬報戦後復刊800号記念)」に映画至上最大の名作第1位にランクされるほど、世界各国における名作の評判の高い作品。
*3
イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman,1918-2007)
スウェーデンの映画監督。代表作は、「神の沈黙」をテーマにした三部作『鏡の中にある如く』(1961)、『冬の光』(1962)、それに『沈黙』(1963)、またTV連続ドラマ『ある結婚の風景』 (1973)など。
*4
フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920-1993)
アントニオーニと並び称されるイタリアの名映画監督。代表作は、『道 』(1954)、『カビリアの夜』(1957)、甘い生活 (1959カンヌ国際映画祭パルム・ドール)、『8 ½』 (1963アカデミー賞外国語映画賞)など。
*5
ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, 1906-1976)
イタリア貴族の家系出身の映画監督で自身も伯爵の称号を持つ。寡作でありながら、そのほとんどの作品が高い評価を得ている、アントニオーニ、フェリーニに比肩する自でもある。代表作は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)、『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)、『ベニスに死す』(1971)、『家族の肖像』(1974)、『イノセント』(1976)など。
*6
ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard, 1930-) は、フランス・スイスの映画監督。トリフォー、ロメールとともにフランスのヌーヴェルヴァーグを代表する作家でもある。映画という媒体を通してこれまで様々な実験を重ね、その多くの作品が広く影響を与えている。代表作は、『勝手にしやがれ』(1960)、『女と男のいる舗道』(1962)、『軽蔑』(1963)、『アルファヴィル』(1965)、『気狂いピエロ』(1965)、『ウイークエンド』(1967)、『ワン・プラス・ワン』(1968)、『ゴダールのマリア』(1985)、『ゴダールの映画史』(1998)、『さらば、愛の言葉よ』(2014)
*7
ロベール・ブレッソン(Robert Bresson、1901 – 1999)
フランスの映画監督。常に問題提起と映画のあり方について問い続けた。代表作は『スリ』(1959)、『白夜』(1971)、トルストイ原作の映画化『ラルジャン』(1983)など
*8
スーザン・ソンタグ『反解釈』
竹内書店出版社(1979/6)高橋康也、由良君美(翻訳)P272
『反解釈』Against Interpretationは、1966年に出版された『反解釈』を含む芸術論に関するエッセイ集。日本語訳は1971年に出版。専門家のありきたりの既存評価ではなく、フォルムや文脈から独自の美を見出す知性の重要性について述べ、”芸術作品に対する新たな復讐”を標榜した記念碑的著作。
*09
ミケランジェロ・アントニオーニ『アントニオーニ』
(ピエール・ルプロオン著)矢島翠(翻訳)三一書房(1969)P111(4)
自分の存在の意味、つまりアントニオーニ自身のアイデンティティはいかなるものだったのか。彼は1912年イタリア北部の小都市フェラーラで中産階級の子息として生まれた。幼少期より、建物や町のミニチュアを作り、その中にいる人々のことを想像することを楽しんだという。同時に絵を描くことや、ヴァイオリンにも親しんでいた。*1このことは、アントニオーニが、映画作家だけでなく、建築家、都市計画家としての視点、資質をも同時に育まれた培われた有していたことを物語る。フェラーラと建築といえば、イタリア・ルネサンス期に活躍し、古典研究はもとより、文学・絵画・彫刻・音楽・建築・スポーツ、あらゆる面に人並み優れる才能を発揮した「万能の天才」*2とされるアルベルティ(1404 – 1472)*3があげられる。彼による『建築論』(1485)は、後世の建築理論書の出現に貢献し、建築について論じるという文学的な結びつきを確立した第一人者と言える。彼、アルベルティは、フェラーラ大聖堂(ドゥオーモ)の鐘楼の設計に関与したと言われている。アントニオーニが故郷フェラーラを舞台に制作した作品は晩年の代表作『愛のめぐりあい』(1995)*4のみであるが、そこにはフェラーラ(サン・ジョルジョ)大聖堂が描かれている。同じ町で3年前に出会った男女が再会し、慎ましくも惹かれ合う二人の変わらぬ心の結びつきを、その大聖堂のファサードが時を経て、二人の関係が心の中でさらなる広がりと奥深さを増したことを表している。アルベルティの時代の15世紀フェッラーラという町について、アメリカの歴史学者で『アルベルティ イタリア・ルネサンスの構築者』(2000)を著したアンソニー・グラフトンの言葉を借りるなら、それは、「航行可能なポー河の支流にあって、ヴェネツィアとボローニャの間という便利な場所に位置し、フィレンツェよりはるかに小さく、住民はおそらく三万人を超えることはなかったし、製造業の中心となることもなかった。しかしフェッラーラ(フェラーラ)は、商人や大使たち、また北方から中部イタリアへとやってくる人々にとっての停留地として役立っていた。(アルベルティの活躍していた)1430年代末には、フェッラーラはますます活性化していた大学や豊かな個人蔵書、活発で魅力的な知的サークルを誇るようになっていた。」*5となる。このようにフェッラーラはもともと商工業というよりは閑静な文化的小都市との想像が可能だ。
アントニオーニが、アルベルティについて詳しく調べ、探求したかは本人の著述には現れられていないので定かではない。ただ、彼がフェラーラ大聖堂の映像を自分の作品の象徴的な部分に引用したことは、ごく自然に故郷にゆかりのある偉人の成し遂げた業績を知り得ていた以上の何らかの理由があると思われる。
また、アルベルティのいわゆるマルチタレント的な多才さを、前述のグラフトンは「近代の学術書における多面鏡には少なくとも二人のアルベルティが映っている。」*6と喩える。第一のアルベルティは、「不規則な事物に数学的秩序をもたらす神のごとき社会や空間の総指揮者の建築家として、専制的暗黒郷思想家モダニズムの建築家ル・コルビジェ*7やアメリカの都市計画家ロバート・モーゼス*8」で、また、第二のアルベルティは、「地方様式や建設環境を尊重する時代に育った、近年の新しい世代の学者の中に出現した。コンテクストの重視、場所や建築、都市の歴史との深い関わり、伝統の尊重する人物」で、さらに「近代都市を切り刻み、ずたずたにした都市計画者たちの祖先ではなく、欧米の都市遊歩者で、フランツ・ヘッセル*9や、都市評論家・思想家のジェイン・ジェイコブス*10のような都市空間の真摯な観察者」のように映る、としている。
このようないわゆる視点の二面性は、アントニオーニにとっても同様と言えるのかもしれない。さらに、「アルベルティほど、建築の問題を扱うための言語を鍛え上げ、それを豊富な理論と経験の上に基礎づけた者はいない。さらに建築家としての彼は、理論を実践に移し、十五世紀におけるもっとも独創的な私的および公的建築を創造した。」ことについては、「15世紀」を「現代」に、「建築」を「映画」に置き換えるならば、アントニオーニにもそのまま当て嵌まる。例えば、アルベルティが齢二十歳に書き下ろした戯曲『フィロドクススの物語』は、「美とその適切さ<デコールム>*11」という根底に潜むテーマの上層は、当時の腐敗した貴族社会や吝嗇な商人などのいわゆる特権階級(彼自身もこの階級に属していた)の人々に対する鋭い社会観察や皮肉や自虐などの批判精神で覆われている。建築や文学作品を通じて彼は自然に対する過剰で冒涜的な(発明や開発などによる)変化のエネルギーにより失われるものの尊さも説く、「心暖かい理想主義者」*12でもあった。
こんなアルベルティの建築を自分の晩年の代表作に取り上げたことは、もはやアントニオーニのアルベルティに対する畏敬の念からと言い切ってもいいだろう。アルベルティのように、彼アントニオーニにも共通する、独特の厳格なスタイル(映像美とそれが適切であるかどうかの)の探求や、真摯で冷徹な変わりゆく都市や社会批判を込めながらも、主人公たちを決して突き放すことのない優しさを感じさせる心暖かい理想主義者としての視点という二面性、つまりそれが彼のアイデンティティなのだ。
*1
ミケランジェロ・アントニオーニ『アントニオーニ』
(ピエール・ルプロオン著)矢島翠(翻訳)三一書房(1969)P14-15
*2
福田晴虔『アルベルティ―イタリア・ルネサンス建築史ノート〈2〉 (イタリア・ルネサンス建築史ノート 2)』中央公論美術出版 (2012/08) P.5
*3
レオン・バッティスタ・アルベルティ (Leon Battista Alberti, 1404 – 1472)
ルネサンス初期、ジェノヴァにおいて、フィレンツェを追われた没落商人貴族の家に生れた人文主義者、建築理論家、建築家。若くして多方面に才能を発揮し、当時理想とされた最初の「万能の人」。専攻分野は法学、古典学、数学、演劇作品、詩作、音楽にまでも及び、絵画、彫刻については実作だけでなく理論の構築にも寄与する。ルネサンス最初の建築理論となる『建築論』(1485)は、紀元前共和政ローマ期の先人ウィトルウィウスの『建築について』と、実際のローマ建築の遺構調査を元に書き上げられた。深い芸術理論は様々な分野で後進のレオナルド・ダ・ヴィンチらに影響を与えている。また、その礼節と紳士的態度により生涯を通じて尊敬された。
*4
『愛のめぐりあい』(Beyond the Clouds. 1995)
監督アントニオーニ、製作ヴィム・ヴェンダーズ、出演ジョン・マルコヴィッチ、ソフィー・マルソー、ジャン・レノ。アントニオーニ自身がをモデルと思われる映画作家が、ヨーロッパ各都市で様々な愛の姿を目撃するオムニバス作品。
*5
Leon Battista Alberti Master Builder of the Italian Renaissance Anthony Grafton(2000)
森雅彦、足立薫、石澤靖典、佐々木千佳(翻訳)白水社 (2012) P.249-250
*6
アンソニー・グラフトン『アルベルティ イタリア・ルネサンスの構築者』P.319-320
*7
ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887 – 1965)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。幾度の理論の変遷を経ながらも現代建築や都市計画に多大な影響を与えた。代表作はサヴォワ邸(1931フランス)、シャンディガール都市計画(1958インド)など数多い。
*8
ロバート・モーゼス (Robert Moses, 1888 –1981)
アメリカの都市計画家。ニューヨーク市公園局長など行政官の立場でニューヨーク市とその周辺の都市デザインを手がけた。20世紀におけるニューヨーク圏の主任建築家、また、しばしば19世紀第二帝政時代のパリ市街の改造計画を担当したジョルジュ・オスマン男爵と並び称される人物。
*09
フランツ・ヘッセル(Franz Hessel, 1880 – 1941)
ドイツの作家。翻訳家。邦文翻訳はないが、彼の都市文学についての論評や評伝は多い。後に『パサージュ論』を手がける思想家・詩人のヴァルター・ベンヤミンにパリを紹介したり、親友のフランス人小説家アンリ・ピエール=ロシェは、ベルリンでのヘッセルと彼の妻との奇妙な三角関係を『突然炎のごとく』で描いた。20世紀初頭のヨーロッパの文化潮流のただなかを生きたが、ユダヤ人であるためフランスで強制収容所に収監され終戦前に死去。
*10
ジェイン・ジェイコブズ(Jane Butzner Jacobs, 1916 – 2006)
アメリカのジャーナリスト。1961年に出版された自著『アメリカ大都市の死と生』は、市民目線による近代都市計画への痛烈な批判と斬新な都市論が展開されたことで世界に大きな衝撃を与え、(日本では二度にわたり翻訳され)今や都市計画やまちづくりのバイブルとなっている。2016年には、’60年代初頭のニューヨーク市での前述のロバート・モーゼスとの環境保全をめぐる市民活動の闘いの記録が『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』(原題は『市民ケーン』になぞらえた『The Citizen Jane』)と題されアメリカでドキュメンタリー映画化された。
*11
デコールム decorum
ラテン語。イタリア語およびフランス語において、「相応しいこと、(規則・作法に)適っていること(convenienza/convenance)」の意味合いで用いられた。
小澤京子【報告】UTCPレクチャー「絵画の作法(デコールム)と〈最後の審判〉――ミケランジェロからコルネリウスまで」共生のための国際哲学研究センター(UTCP)(2009)
https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/09/utcp-32/
また、デコールムは、詩論においても、詩作の形式に応じてそれに適した語彙と言葉遣いをすること、の意味で用いられる。
*12
アンソニー・グラフトン『アルベルティ イタリア・ルネサンスの構築者』P.27みえるものと見えないもの
(1)
アントニオーニ晩年の長編『愛のめぐりあい』*1の主人公の名もない映画監督は「映像を通してリアリティの背後にあるものを探求してきた」と告白しているが、その“映像による見えないものの提示”は、同時に彼自身の(特に1959年制作『情事』以降の)作品における強い動機と不変のテーマと言える。その見えないものについて、ほぼ同時代のフランスの哲学者(現象学)モーリス・メルロ=ポンティ*2は人間の知覚する対象について以下のように述べている。見えないものとは、 一、今のところ見えないが、見えることのありうるもの。(物の隠れた面ないし今は見えていない面ーかくれているもの、「どこかべつのところ」のあるもの)。二、見えるものと関わりはあるが、にもかかわらず物としては見られえないもの(その具象化されえぬ骨組)。 三、触角的ないし運動感覚的にしか存在しないもの。
いっぽう、見えるものについては、
見えるものとは客観的な現前(あるいはこの現前の観念=視覚的画像)であると信ずるようなまったくの哲学的誤謬(ごびゅう)の分析から出発すること。
モーリス・メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』
滝浦静雄/木本元(共訳)ポンティは客観的な表象(英:Representation 現前の観念=視覚的画像)とその裏側にあるものの対比により「ここ」や「どこかべつのところ」という場所の概念の喪失が触角的ないし運動感覚的に知覚され現前するものの誤謬、つまに、過ちや、誤解、偽りに気づく時に人間の意識の中にその“もの”が可視性をおびてくると述べているが、アントニオーニの視覚的画像においては可視しうる現実の背後に存在する実体の意味が探究しつづけられてきた。ちなみに『愛のめぐりあい』主人公の映画監督は「ただ映像に心惹かれるだけの人間にすぎない。今までずっとカメラを通して真実を発見してきた。周囲の世界を撮影しその表面を拡大して背後に潜むものを探求する。それを一生の仕事にしてきた。」と語る。アントニオーニの具体的なポンティの哲学に関する言及は残されていないが、彼も、ポンティの言う現前する事物や出来事の誤謬を捉え、見えないものを見えるものに転換、露出させようとしたのだろうか。実際、私たち自身も、ものやことに対し一種絶対的な基準のように、”見える”、”見えない”という言葉をよく使う。それでは、アントニオーニが捉えようとした不可視の現実とはいったいどのようなものであり、どんな手法によりそれがフレームに転換されたのだろう。次回からは『欲望』(1966年)を始めとするいくつかの作品から具体的に検証して行きたい。
- *1『愛のめぐりあい』(1995年)
ミケランジェロ・アントニオーニとヴィム・ヴェンダースの共同監督によるオムニバス映画。原題は「雲の向こうへ」。アントニオーニ最後の長編映画となった。自身の短編小説を映像化したもので、それぞれ舞台(フェラーラ、ジェノヴァ、コート・ダジュール、パリ)も登場人物も異なる幻想的な四編の物語で構成されている。出演は語り部であり映像求道者の映画監督役ジョン・マルコヴィッチ始め、ファニー・アルダン、ピーター・ウェラー、ジャン・レノ、イレーヌ・ジャコブなど新旧俳優陣が務めた。(参考動画:『愛のめぐりあい』アドリア海のシーン) - *2 モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908 – 1961)
フランスの哲学者。主に現象学の発展に尽くした。ポンティは、知覚を人間の身体から柔軟に考察することを唱えた。その哲学は芸術や文化に広く影響を与えている。1959年、大著『見えるものと見えないもの』を執筆中に心臓麻痺のため急逝(1961年)。同書は弟子のクロード・ルフォーの尽力により3年後に刊行された。代表作は『知覚の現象学1』(1945年) 、『シーニュ』 (1960年) など。なお、『見えるものと見えないもの』の日本語訳は、これまでみすず書房および法政大学出版局の二種類が出版されており、欧米のみならず日本でも2010年代以降に関連書が刊行されるほど今もなお時代を超えてポンティの哲学に関する議論がなされている。 -
(2)
1)可視化の手法(『欲望』)
ジェーン やめてちょうだい。その写真を返して。そんなふうに写真を撮るなんて許せないわ。
トーマス そんなこと誰が言ったんだ?僕はただ自分の仕事をしているだけさ。闘牛士や政治家と同じように僕は写真家だ。
映画『欲望』(Blow-Up)1965年
アルゼンチンの作家フリオ・コルタザルの怪異幻想小説『悪魔の涎』*1に着想を得て制作された『欲望』*2は、原作のパリから映画化に際しロンドンに舞台が置き換えられた。主人公のトーマスは、都市とモードを撮る売れっ子写真家。彼は狩人のように当時の最新型ロールス・ロイスのオープン・カーに跨り獲物(写真の対象)を求め衝動的に都市ロンドンを駆け廻る。ここで提示される問題は彼の介在するオブジェクトと作品(写真)に対する意味づけだ。彼は、収容所のホームレスや荒廃した街の一角を背景に撮影された男の姿をカメラのフレームに切り取るという行為により都市の断面を「現実」として具現化しようとしている。彼は自分自身が知覚しうるもののみが現実であると信じ疑わない。
彼の思考はシャッターを切る以前に(シャッターを切る瞬間まで)肉眼で認識されたオブジェクト(対象)が直感によりもうすでに意味づけられ、叙述に結び付けられている。そしてその行為が現実の写し撮りだと確信している。同時に、貧困や荒廃した街と対峙するかのような対象的なモードや商業写真にも抵抗がない。多分、彼自身、感性が受け入れるものなら対象の価値にはこだわらないのだろう。骨董屋で買い込む飛行機のプロペラや、ライブハウスでオーディエンスが群がるロックバンドのギタリスト(ヤードバーズのジェフ・ベック)の叩き壊したギターのネックをいとも簡単に街中に捨て去るシークエンスは、芸術=モノの価値に疑問を投げかける一幕と言える。そう、トーマスは「もう、この街には飽き飽きした」と対象を消費して行くだけの虚しい行為に気づき始めてもいる。(ライブハウスから街中のシーンの動画)
特に、『欲望』におけるアントニオーニの都市表現は秀逸でフィンランドの建築家ユハニ・パルラスマ*3も自著においてアントニオーニの建築物(もちろん、都市空間も含む)への並々ならぬ関心を指摘しているように、映画の冒頭にアリソン&ピーター・スミッソン*4設計の上方に伸びる直方体の現代建築(1964年完成のエコノミスト・ビル)に仮装学生運動家ラグ・ウィークたちの姿を重ね合わせ象徴的に描いている。近代から現代に変貌しつつあるロンドンの建築や新しい色彩やデザインの溢れるスウィンギン・ロンドン*5と呼ばれる当時の風俗をサイケデリックな色合いも加え抽象的に再現したスタジオ撮影のシーンはまさに圧巻だ。
ある日、トーマスは、ロンドン市内の静かな公園(マリオン・パーク)で幸福そうな一組の男女の姿を偶然、写真に収める。しかし、女性が執拗にそのフィルムの返却を請うので、単なる逢瀬以上の切迫した何かを感じ取りその事に深い関心を抱くようになる。彼が公園で手に入れた写真は、最初の意図では単に貧苦にあえぐ都市と人間の写真集の結末に対象的に配置されるものだった。ところが、彼はすでに撮り終えた作品の一点の不明瞭な影に注目し、そこから憑かれたようにその意味の探求がはじまる。この時点まで写真家トーマスが追い求め、消費していたのは、いわば哲学者ジャン・ボードリヤール*6の言う「人が最も上手に写真を撮ることができるのは、未開人、貧民、モノなど、それらにとっては他者がもともと存在しないか、もしくは存在しなくなったものたち」*7のようなもので、この気づきが、彼に、これまでは現実の欠落した空虚なイメージを追い求め続けるだけであった「撮影」行為の時点で、すでに意味づけが完結していたのが、更にその先に潜む意味を探るという“欲望”を抱かせることとなるのだ。そして友人の抽象画家ビルの台詞がその先を暗示する。「意味のない寄せ集め、始めはぼんやりと不明瞭なものが、やがて形を成す。一部が見えきて、そして全体が。まるで推理小説のように・・・。」
次回は、その不明瞭で意味のないコラージュ(寄せ集め)から、核心に迫るために取ったトーマスの“手法”と“写真 “そのものの意味について考察する。
- *1
- フリオ・コルタザル(Julio Cortázar, 1914 – 1984)
アルゼンチンの作家・小説家。幼少期から学生時代までをブエノスアイレスで過ごし、ペロン政権の独裁政治に対するレジスタンス運動に関わった後、1951年パリに移住。実験的、幻想的な作品を数多く残した。代表作は『マヌエルの教科書』、『秘密の武器』(短編集)など。アントニオーニが取り上げた。 - *2
- 『欲望』
1965年制作のアントニオーニによる長編映画。原題Blow-Upのは写真用語「拡大、引伸し」の意。英国ロンドンが舞台の写真家トーマスが偶然撮影した男女の逢引の写真に写り込む背後の謎めいた影に何か犯罪めいた匂いを嗅ぎつけた彼がそこから見出す幻想とも現実ともつかない摩訶不思議な世界。やがて彼にはこれまで見えなかったものが見えてくる。アントニオーニのこれまでの静謐な心理映画とは若干趣の異なるスピード感溢れるミステリー映画。主演の写真家役のデヴィッド・ヘミングス始め、後の名優ヴァネッサ・レッドグレーブとサラ・マイルズ、他に当時のスーパー・モデル、ヴェトルーシュカやジミー・ペイジがレッド・ゼッペリン誕生直前に在籍したヤードバーズなどが出演、ロック、ファッションやサイケ文化のスインギング・ロンドン隆盛の都市や風俗を再現している。テーマ音楽はアメリカのジャズ・ピアニスト、ハービー・ハンコック。 - *3
- ユハニ・パルラスマ(Juhani Pallasmaa, 1936 – )
フィンランドの建築家および建築理論家。元ヘルシンキ工科大学建築学科教授および学科長。「優れた建築や芸術は時を超越するもの」と述べ、ヘルシンキ市のグッゲンハイム美術館計画への批判的言及など観光消費目的として生み出される現代建築のグローバル化へも警鐘を鳴らす。ノルウェーの若手建築ユニットTYINもその影響を告白している。アントニオーニについては、2007年の自著『The Architecture of Image』(P.115)に詳しく言及。本書は、あくまで「部外者である建築家目線による映画論」(本人談)という設定だが、アントニオーニ以外もヒッチコック、キューブリック、タルコフスキーの映画作品に関する建築や空間、素材、美術論が縦横に展開され映画への造詣の深さを現している。(パルラスマインタビューarchi daily/2018年) - *4
- アリソン&ピーター・スミッソン(Alison Smithson, 1928 ― 1993 / Peter Smithson, 1923 ― 2003)
イギリスの建築家夫妻。1950年代からロンドンの現代芸術研究所ICAを拠点に、芸術家や批評家たちと「インディペンデント・グループ」を結成し活動した。文化や芸術にとらわれない多彩な表現活動を展開し、特に建築では後にルイス・カーンもその潮流に組み入れられる「ニュー・ブルータリズム」というデザイン理念を生み出したり、ポップアートや建築の「アーキグラム活動」への影響をも与えた。代表作の『ハンストン中学校(現在はスミスドン)』(1954年)はアントニオーニが『欲望』で取り上げたロンドンにある『エコノミスト・ビル(雑誌エコノミスト本社)』(1965年)と共に現在も使用中。建築論や都市論の翻訳書も多く出版されている。 - *5
- スウィンギング・ロンドン(Swinging London
形容詞のswingingは、「いかす、流行の最先端を行く」の意。スウィンギン・シックスティーズ(Swinging-Sixties)とも呼ばれる。1960年代ロンドンにおけるファッション、芸術、音楽、映画、建築、デザインなどに現れたストリートカルチャー。アメリカ西海岸を中心に勃興した「ヒッピー」文化にも影響を及ぼした。それまでの古くさくて保守的な英国社会に対する若者のアンチテーゼとして出現した社会の既成的な価値観を破ろうとする新しい文化の爆発でもある。主にロンドンのキングス・ロードやクランベリー・ストリートなど大都市の中心部に展開した点が特徴的。(例. ビートルズ、ミニ・スカート、モデルのツィギー、ヘア・デザイナーのヴィダル・サスーンなど)なおスウィンギング・ロンドンの様子は2019年公開の記録映画『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』(My Generation/2017)に詳しい。 - *6
- ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard, 1929 – 2007)
フランスの哲学者でポストモダンの代表的な思想家。1970年に著した『消費社会の神話と構造』、80年の『シミュラークルとシミュレーション』を始めとするボードリヤールの哲学は、日本のブランド無印良品誕生や、ウォシャウスキー姉妹によるSF映画『マトリックス』(1999年)の背景世界への(シミュレーショニズム理論の)影響など社会、思想、芸術へ多大な影響を与えている。その他、写真評論集『消滅の技法』(1988)や建築家ジャン・ヌーヴェルとの対談『les objects singuliers – 建築と哲学」(2005)など。 - *7
- 『消滅の技法(l’art de la disparition)』(P28)
ジャン・ボードリヤール著/梅宮典子訳 PARCO出版 1997
- *1『愛のめぐりあい』(1995年)